上杉謙信の生涯

上杉謙信の生涯
上杉謙信という武将は生涯のほとんどを挙兵に明け暮れたと伝えられています。上杉謙信の生涯を追いかけながら上杉謙信の活躍した舞台(名所)を紹介します。
powerd by 楽市360
上杉謙信の生涯! 上杉謙信とは?
powerd by 楽市360

上杉謙信、上杉氏を襲名

永禄3年(1560年)、織田信長が桶狭間で今川義元を破ったこの年、上杉謙信は初めて関東への出兵を行ないました。

翌年には、北条氏の居城である小田原城へと攻め込みますが結局落とすことができず、鎌倉まで兵を引き上げます。
ここで上杉憲政の養子となり、上杉氏を襲名しあわせて関東管領職を継ぐことになります。

鎌倉の有名な神社、鶴岡八幡宮での出来事でした。

上杉謙信の人望

上杉謙信は、戦国という乱世にありながら家臣への細やかな気遣いを決してわすれない人物でした。
戦国時代の武将として有名な織田信長は、豊臣秀吉を登用したように有能であれば身分の低いものでもどんどん出世させていく、実力主義を採用していた武将でした。それが結果的に各武将の反感や不信を買うことになってしまい、「本能寺の変」での明智光秀の謀反に繋がったとされています。
対する上杉謙信はというと、一度離反した国衆を再び自分の下に迎え入れるような懐が広く、柔軟な姿勢で越後を統治していました。

織田信長の恐怖政治に対し、上杉謙信は家臣に細やかな気配りを見せながら褒めてその実力を発揮させる、現代でいうところの「コーチング」を上手に活用した辣腕社長のような国主だったといえるでしょう。
他国の武将たちからも一目置かれた、まるで上司の鑑のような上杉謙信の下で、家臣たちは伸び伸びとその実力を発揮できていたに違いありません。

上杉謙信の出兵を支えたものとは?

上杉謙信は、その生涯のほとんどを戦の中で過ごしました。
関東出兵は、少なくとも10回以上、北信濃や能登・加賀への出兵も含めると実に20回以上も出兵したといわれています。

当然の事ながら、戦には大量の軍資金が必要になります。上杉謙信の遠征を支えたのは、越後(新潟県)の豊かな国力だったといわれています。越後(新潟)と聞くと「米」を連想しますが、当時の新潟は見渡す限りの稲穂・・・というわけではなく、新潟の名が示すとおり海沿いの土地は潟や湿地が目立つ荒野だったそうです。

上杉謙信を支えたのは、当時交通の大動脈となっていた日本海の水運を利用した交易だったのかもしれません。
上杉謙信は、日本海航路の重要拠点となっていた直江津を支配していました。そこからの税や特産の青苧(あおそ)を原料に織った越後上布などの交易による利益が軍資金となっていたと推測されます。
また、春日山城や直江津の遺跡からは中国製の磁器などの輸入品や交易がもたらしたと思われる遺物も数多く出土しています。

冬は雪に閉ざされてしまう地域だとはいえ、一旦雪が溶ければ交通にも経済にも大きな恵みをもたらす「越後」は、上杉謙信にとって大切な土地だったのだと思います。
お知らせ

上杉謙信の生涯!どんどんコンテンツを充実させていきますので、是非ごゆっくりとご覧下さい。




話題の商品

リンク
RSSフィード
By FC2ブログ
新着記事
カテゴリー
ブロとも申請フォーム